それは 「死ぬと人はどうなるのか」 答えは 「人は生まれ変わる」です
解 説
生まれ変わりとは この世界を去り(死)、あの世を通り、また新たな人生(転生)がスタートします それの繰り返しが生まれ変わりです 人は生まれ変わりを何度も繰り返して卒業資格を得て解放されます
あの世とは この世界に生まれる前にいた本来の居場所(故郷)、新たな人生(転生)の準備をする場所
新た人生(転生)の準備とは この世界での人生を振り返り予定していた課題の習得を確認します 課題を習得していれば次の段階の新たな人生 課題の習得が不足の場合は学びなおしの新たな人生
卒業資格とは 貸し借りの清算です、人生の中で与えたもの(貸し)が奪ったもの(借り)を上回ること
貸しとは 相手の必要なものを施す事、無償に近いほど多くの貸しとなります
借りとは 相手の必要なものを奪う事、無償に近いほど多くの借りとなります
解放とは あの世(本来の居場所)に戻り本人が望まない限りこの世に戻ることがなくなること

あとがき 其の七
知らないで行う事と知って行う事 善い行為(与える)には貸し、悪い行為(奪う)には借りが発生します。これは法則、対象に関係なく発生する現象です。大人でも子供でも木に登り飛び降りれば落下します、これと同じです。悪い行為(借り)には善い行為(貸し)で清算しなければなりません。しかし『悪い行為と知らずに行った』場合は「過ち」であり「人の未熟さ」から発生するものです。経験したことがなければ大人、子供関係なく「過ち」をおかします。「過ち」の借りは重くはないようです。未熟なものは間違います、この世界は「過ち」から学ぶ場所でもあります。
次に「知って行う事について」です。物事を理解できていない子供と理解している大人が同じ「行為」をした場合、当たり前ですが物事を理解しているほうが責任が重くなります。『悪い行為と知って行った』場合は「過ち」ではなく「罪」になります。他に見つからなくても自分をごまかしてみても自分の心をだますことはできません。知らずに行う事(悪、未熟、過ち)と知って行う事(邪悪、成熟、罪)では責任の重さがちがうようですが、それがどの程度の違いかは私にはわかりません。ですが生まれ変わりでの貸し借りの精算は誰もが納得できる精妙で絶妙なものだそうです。
これは推測になりますが貸し借りの精算は自分のみではないようです。自分の身代わりに愛するものや親しいものが借りを返したり、貸しを与えられたりすることも考えられます。特に自分のために辛い事の身代わりになってくれるのは前世からあなたをよく知る深い縁と愛のあるものです。仏教ではそのような存在を菩薩とよびます。ですが自分の大切なものの苦しむ姿を見るのは自分の苦痛以上ともいえます。
笑顔を与える行為(貸し)を心がけましょう、過去の悪い行為は知らずに行った「過ち」ですがこれから悪いと知って行えば「罪」となります。そして「借り」は「貸し」によって清算されるまで人生を繰り返します。